いとしの儚(2007.03.31)
何故だかわからないけど、これほど苦しまずに作ることが出来た作品は初めてだ。
演出をすることになったときから、かなり具体的なイメージが頭の中にあった。
それは一度扉座でやっている作品というのもあるだろう。 でもいつもと違い珍しく横内さんの舞台を意識せずに、演出イメージを作り上げることが出来た。
真っ先にあったのは空間のイメージだ。 プロセニアムアーチのある劇場はいやだった。 舞台と客席の境界のない空間が欲しかった。 だから、新国立劇場小劇場でやりたかった。 あそこでなければやりませんと、プロデューサーに宣言していたくらいだ。
お客さんと同じ空間に賽の河原を出現させたかった。 そして極力大きな舞台転換をしないで、賽の河原で綴られる物語にしたかった。 細かく分けて28景もあるこの芝居で、それは容易なことではなかったけど、金井勇一郎の美術の力もあって、狙い通りの絵作りが出来たと思っている。
配役のイメージも早くから固まっていた。 だからキャスティングにも苦労しなかった。 井之上隆志さんや小林美江さんなんて、個人的には面識もなかったけど、この芝居に絶対に必要な役者さんだったので、出演が決まったときには小躍りした。 そのほかにも博打場の男たち、女郎達、和尚と三木松のカップル、賽子姫や人ならぬモノども。 隅々までいい配役だった。
ヘアメイクや衣裳のビジュアルもかなり早い時期に、それぞれのデザイナーとイメージの摺り合わせをした。 どちらも若いデザイナーなのだが、こちらの想像を超える提案をしてくる。 時にそれは過激すぎたりする事もあるのだが、彼らと意見をぶつけ合いながらの作業はとても楽しかった。
今回いろいろなことがスムーズに気持ちよく進んだのはスタッフの力がとても大きい。 みんな単純にオレの言うことを聞いたりしない。 何か必ずひねってきたり、違うアプローチを見せてきたり、より精密な物にしたりしてくれる。
最後の『儚』の花びらだって、オレは芝居で花びらといったらさくら色しかないと思っていたんだ。 あれに色々な花を混ぜたのはスタッフのアイデアだ。
これがいろんなジャンルの人間が、よってたかって作り上げる芝居の面白さだなあと、つくづく嬉しくなる。 才能と愛情は人を幸福にする。
それにしても横山智佐だ。
今だから正直に言おう。
僕は女優としての彼女の力を認めている。 初演出作『そらにさからふもの』で彼女をヒロインに起用した くらいだ。 でも、『儚』を彼女が見事に演じきるイメージはもてなかった。
彼女の『儚』への強い思いを知れば知るほど、それが空回りして失敗するのではないかと心配だった。 今まで声優として(舞台でも)キャラクターをまとってきた彼女がこれほどの役を、一から作り上げることが出来るのか。
7年間も夢に見てきた舞台を何とか成功させたかった。 だから、彼女のことだけはオレにとって大きなプレッシャーだった。
でも、オレは彼女のことを見誤っていたよ。 オレのそんな心配を軽々と飛び越えるくらい、彼女はこの役に取り組んでいたし、理解していたし、何より役者としての力をつけていた。
思いは叶うというが、ただ思うだけでなく、具体的な努力を積み重ねてきた彼女に熱烈な拍手を贈りたい。
いい戯曲にいい役者、有能なスタッフ。 本当にオレは恵まれている。
それから身内なのであまり語りたくないが、崇史は大人の役者になったよ。
本当にご無沙汰でした。すんません。(2007.03.12)
相変わらず腰が痛い。 もうこれは職業病だな。
演出をしていると休憩をとるのが面倒くさくなる。 一度休むとなんだかダレてしまって、気持ちを持ち上げるのが大変だから。 3年前にタバコをやめてから、一服休憩すら必要なくなった。
さすがにそれでは役者さんも可哀想だから、たまに5分とか10分とか、小休止を入れるのだが、その時間さえも持て余してしまう。
食事休憩すら与えてもらえない役者さんはさぞ大変だろうけど、俺に合わせてもらうしか仕方ない。
そんな感じでガシガシ稽古は進んでいるので、もういつ初日を開けてもいいぜ!ってな具合に仕上がっている。 ちょっとそれは言いすぎか。
でも、本当にかなりカタチは出来上がった。 まだ10日以上あるので、これをもう一度壊して再構築するくらいの余裕はありそう。
これにはもちろん俺の稽古好き、そしてそれに文句も言わず付き合ってくれている芸達者な出演者のお蔭もあるけど、一番の要因は戯曲の良さだと思う。
ここのところ外部で新作の演出が続いたけれど、初めから台本があるというのはやはり準備する上でとても助かる。
その上に、なによりも『いとしの儚』は本当に名作だよ。 演出をして改めてそう思う。 俺が放っておいても、役者がこの作品に導かれていい芝居を見せてくれている。
毎日稽古場が楽しい。
鬼婆。
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